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2007.06.25

★★映画「ひめゆり」を見た。

「ひめゆり」やっと昨日見てきました。ちゃんと書こうと思うと時間がかかって結局書けなくなってしまうので、今思うままに。
 
● 映画は、元ひめゆりの女性たちが、当時の体験をただ話してくれるというだけの内容。まず当時の彼女らの写真が写され、当時好きだったこと、どんな少女だったかという簡単な情報が文字で記され。今の彼女たちがかつてのことを話すという構成。それぞれの話のあとに、今の沖縄の風景が数十秒映される。

● 胸が詰まるような話にがーっと感情が高まるけど、すぐその自然音だけが静かに響く風景のシーンが映るので、息を止めるしかない。泣いたり鼻水すすったり嗚咽したりしたら映画館に響きわたっちゃうから。この映画を見て、「感動」して涙を流すなんてそんなこれみよがしなことはできないし。

● おかげで何度も窒息しそうになりました。

●見ながらずっと考えていたのは、彼女たちの言葉はどうしたら伝わるのかということ。平日の昼間だということもあるだろうけど、観客のほとんどが年配の女性だった。中には90歳は越えておられるだろうという女性もいた。たぶん、この映画をわざわざ見に行く人は、最初からひめゆりの彼女たちの言葉が届く人たちだ。

 ●映画の間、この言葉を、どうしたら、進んでこれを知ろうとしない人たちに届けることができるのかということばかり考えていた。こういうと傲慢な感じがするな。つまりは言い換えれば、かつての自分とか、今のうちの子どもたちとか。あとはネット上で出会う様々な「リアリスト」な人たちとか。

 ●昨年読んだ、『平和は「退屈」ですか〜元ひめゆり学徒と若者たちの五〇〇日』という本はとても考えさせられた。私もそうだったしうちの子にとってもそうだし、「平和」という言葉は何かをそれだけで伝えるだけの力がもうない。それは伝える側の問題じゃホントはないんだけど。

 ●受け取る側にも準備が必要で、例えばもう、わざわざ東中野の小さな映画館にこの映画を見に行く時点でこちらはもう準備万端である。でも、例えば今からライブにいって朝まで飲んで〜とウキウキでかけようとしてるときに「ひめゆり」の話出されたら、なんか「こうやって遊び惚けてていいのか」と思わされて、共感というよりもなんだか萎えてしまうというか。そんな気持ちにもなるんだろう。そして多くの若者は、これから人生ウキウキ楽しいことばかり待ってると信じてるわけで、そんなときに「昔こんな悲惨なことが、、」といったらやっぱり萎えちゃうんだろうなそうなんだろうな。

● 職業柄なのかもしれないし、子どもがいるからなのかもしれないし、もしかしたら別の要素もあるのかもしれないけど、やっぱり私は、人を萎えさせてもこれは伝えようという努力をしていかなければならないものだと思った。というか、萎えさせるのはその声が大きくて正しく聞こえてしまうから。だったら、小さな声で、つぶやくように、しつこくしつこく言い続けようと思った。

●それで思い出した。私もずっとこういう話、「昔は悲惨なことがあったんだな」「気の毒だな、かわいそうだな」とだけ思ってた。それがいつ、自分の身にこんなにも届くようになったのか。そのタイミングがなんだったのか自分でもよくわからない。でもそれは、ヘレン・ケラーの「ウォーター」の発見にも近い感じで突然つながったのだ。

●それはきっと、サリバン先生が、言葉という概念が何にもわからないヘレンにそれをしつこく呪文のように継続して教えつづけたから。今は「退屈」に聞こえても、「萎えてしまうような」言葉でも、言い続けることに意味があると思った。届かないことに失望して口をつぐんだら、ホントに終わっちゃうと思った。

● どこまでできるかわからないけど、私は少なくとも自分の子どもにはサリバン先生のようにやってみようと心から思いました。

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2007.06.22

★★「原発切抜帖」(6月17日)

●またも超久々。今、勉強用のはてなも始めようとしていて、それぞれ自分がどう使うかを模索中。とりあえず、しばらくはできるだけいろんな人にできれば知ってほしいようなことだけアップしようと思います。

●で、今ユーロスペースでやってる「映画は生きものの記録である 土本典昭の仕事」との連動企画を、小川町のneoneo坐でやっているというので見に行きました。午後に打ち合わせがあったので、どうしても見たかった「原発切抜帖」だけを見た。今年1月ポレポレ東中野でも上映してたが見に行きそびれていたのでラッキーでした。

●うーん。すごい。画面は最初から最後まで新聞の切り抜きを映すのみ。それだけで一気に見せる。すごいものを見たなあという印象。しかも! 見に行くまで知らなかったが、ナレーションは小沢昭一で音楽は水牛楽団! 私にとってはアヘ〜♪な人選でびっくり。

●土本監督は、水俣病のドキュメンタリストという印象が強い人だけど、「六ケ所村ラプソディー」でも登場していて、水俣や原発、原子力に関する膨大なスクラップのシーンが映されていて印象的だった。

●「原発〜」は、広島の「新型爆弾」を報道する終戦直前の新聞のスクラップから始まるが、82年制作のため、その時点での最新のトピックスはアメリカ、スリーマイル島の原発事故。チェルノブイリも当然まだ起こってない。事故を報道し、だがしかし「さほど影響はない」と報じていたのが、いろいろ事実が明らかになっていくほどに深刻な内容になっていくあたり。すごいリアリティ。もうデジャヴというか、ホントに、ホントに何度も何度も同じことを繰り返しているのだなと思った。

●スリーマイルも、第五福竜丸も、知識としては知っていたけど、こんなリアリティで迫ってきたことはなかった。うーん。小沢さんのおとぼけた講談のようなナレーションがまた秀逸。

●漏れだした高放射能の排水をぞうきんとタオルで拭き取った敦賀原発の事故。放射能検知器が鳴り響きっぱなしだったという「むつ」の試乗イベント。核実験場だったネバダの近くで撮影されていた映画の関係者150人のうち100人近くががんor白血病で命を落としていたとか(ジョン・ウェインが有名)。強制的に移住させられた元マーシャル諸島(ビキニ)の人々は未だに島に帰れない。彼らの好物だったヤシガニの汚染値は未だ下がっていなくてもう食べられない。など、など、など。

●うーん。どこかで見たニュース、これからも見そうなニュースばっかり〜。

●とはいえ、最後のほうでは、パラオ共和国の「非核憲法」の制定が、希望に満ちた様子で、力強く伝えられ、ぐっときた。……、しかーし! 調べてみたら、非核憲法は92年に住民投票によって修正されちゃったんですね。独立の交換条件か、。うーむ。どっかで聞いたような話ですね、、。

●なんかやっぱりいろいろ調べねばならないなと改めて思いました。知らないことはやっぱり多い。

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